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FACTORY LOCATION
2008 SEASON STANDINGS
-- -- -- 3 -- 3 2 -- 6
-- -- -- -- -- -- -- -- --
P. 09/11


住所 : Honda F1 Team, Brackley
NN13 7BD, England



チーム代表 : ロス・ブラウン


テクニカルディレクター : 中本修平


デピュティテクニカルディレクター : ヨルグ・ザンダー


空力開発責任者 : ロイック・ビゴワ


エンジンディレクター : Honda Racing


バトン担当レースエンジニア : アンドリュー・ショブリン


バリチェロ担当レースエンジニア : ジョック・クレア




RA108
Carbon produced by Honda

トランスミッション
Semi-auto 7 speeds

サスペンション
Honda / Showa

ウエイト
605 kilos

クーリング
Water/oil cooling system
ブレーキ
Alcon Carbon

オイル
ENEOS

燃料
ENEOS

ホイール
BBS

タイヤ
BRIDGESTONE
エンジン
Honda V8 RA808E - 90°

排気量
2400 cc

エンジンブロック
Aluminium

シリンダーヘッド
Aluminium

クランクシャフト
Steel
参戦開始 : 1964

コンストラクターズタイトル獲得数 : 0

ドライバーズタイトル獲得数 : 0
勝利数 : 3

ポールポジション : 2

ベストラップ : 2
獲得ポイント : 140

GP参戦数 : 70


1997年シーズンの終わりにケン・ティレルがブリティッシュ・アメリカン・タバコにチームを売却。1970年代初期、ティレルは今や伝説となったケン・ティレルのチームとしてF1界で栄光の日々を勝ち取ったチームだ。チームの再生が期待され、初期のような栄光の日々が戻ってくることが望まれた。1998年ティレルは最終戦まで戦い、12月、公式にチーム名をブリティッシュ・アメリカン・レーシングと変更。その後、悲劇にもケン・ティレルはドライバーにかかわる論争でこじれ、結果的にチームを退いている。

新生ブリティッシュ・アメリカン・レーシングとなった最初の年は、ジャック・ビルヌーブとリカルド・ゾンタがドライバーに決まり、またビルヌーブのマネジャー、クレイグ・ポロックがチームを運営することとなった。

しかし、彼らは暗雲のスタートを切ることになる。2台に違ったカラーリングを施したマシンを送り出すも、それが認められず、次にマシンの真ん中にファスナー柄を描き、それを挟んで両側に異なったペインティングを施すという2重共同スポンサーをアピールできるマシンを造り上げるが、これも認められなかった。結局、ブリティッシュ・アメリカン・レーシング側がFIA(国際自動車連盟)に譲歩する形で問題は解決する。結果的に最初の年は苦い経験を積むことになり、1ポイントも上げられずに終了。マシンの信頼性がチームの課題だった。

ホンダとの提携が始まった2000年はうまく機能し、ビルヌーブは数戦で素晴らしいパフォーマンスを見せる。ゾンタもシーズン後半には比較的いい位置につけるレースもあった。ブリティッシュ・アメリカン・レーシングは新しい2人のドライバーが総合5位以上の結果を残すことを期待し、2001年のビルヌーブのパートナーとしてオリビエ・パニスと契約を結んだ。結果的にこの期待は達成されず、2001年はホンダエンジンを駆使したライバルのジョーダンに敗れ、総合5位でシーズンを終了。フラストレーションがたまったビルヌーブは全体的なパッケージにダメだし、2002年に向けて大々的な改革がなされている。

しかしながら、新車発表の前夜、突然、ビルヌーブの友人でありマネジャーであるポロックが解雇され、ビルヌーブの今後に疑問符を残すこととなった。チームに栄光を取り戻すため、ポロックの後任としてデビッド・リチャーズがチーム監督に就任。

ビルヌーブは2003年も残留、チーム名をブリティッシュ・アメリカン・レーシングからB・A・Rに変更したチームはグリッド上でホンダエンジンを搭載する唯一のチームとなっていた。ビルヌーブのチームメイトにはウィリアムズ、ルノーを経たジェンソン・バトンが起用される。激しいやりとりで始まった両者の関係だが、バトンはビルヌーブをしのぐ活躍を見せた。そして、事実上、チームのリーダーとなったのだ。

最終戦日本GP前にチームは、この年、サードドライバーを務めていた佐藤琢磨を2004年のレースドライバーに起用すると発表、ビルヌーブは急きょ日本GPへの参戦を取りやめ、琢磨が出走している。

多少時間はかかったが、2004年はB・A・R Hondaにとって飛躍の年となった。コンストラクターズ5位から一気にジャンプアップし、チャンピオン争いを繰り広げるトップチームの仲間入りを果たしたのだ。2004年は119ポイントもの大量得点を挙げ、コンストラクターズチャンピオンシップを2位で終えた。バトンの2位表彰台4回に加え、琢磨がインディアナポリスで初の表彰台をつかんだ。トータルでは11回の表彰台フィニッシュと、24回のポイント圏内フィニッシュを果たしている。

2004年に大躍進を果たしたB・A・R Hondaは2005年、初優勝達成に自信をみなぎらせていた。前年に起きたウィリアムズとジェンソン・バトンの契約問題も影響し、チーム代表のリチャーズが離脱したが、代わってニック・フライが代表に就任、バトンの引き留めにも成功している。

こうしたマネジメント面とは裏腹に、チームは開幕3戦を過ぎても、バトンと琢磨がノーポイントと不振を極めた。第4戦サン-マリノGPではこれに追い討ちをかけるように、マシンの最低重量が規定を下回っていると判断され、失格処分が下される。その後はさらに2戦連続出場停止と苦境に立たされた。

チームはシーズン中盤になってもポイントを獲得できず、苦戦を強いられたが、その一方ではHondaがチームの株式を45%取得したことを発表。さらにシーズン末には100%の株式をHondaが所有するに至っている。また、バトンがフランスGPでシーズン初ポイントを挙げてからは最終戦まで全戦でポイントを獲得。一方の琢磨は最後まで波に乗れず、苦しいシーズンを送った。チームも結局、コンストラクターズランキング6位に低迷している。

バトンに至っては2005年も再びウィリアムズとの契約問題が発生したが、Honda残留を熱望するバトンの願いが叶う形で2006年の残留が決定。パートナーを務めた琢磨は新たにフェラーリからルーベンス・バリチェロを迎えたチームを去り、新チームのSUPER AGURIへと移籍した。

周囲の状況など運を味方につけたバトンがハンガリーGPで見事な初優勝を遂げ、チームに悲願の初勝利をもたらしたものの、テクニカルディレクターのジェフ・ウィリスが離脱するなど、2006年もHonda Racing F1にとって紆余曲折のシーズンとなっている。

バリチェロはHonda Racing F1で過ごす初シーズン前半は、ますます進歩を遂げるトラクションコントロールなど、RA106が彼のドライビングスタイルに合わず、苦戦を強いられる形となった。バトンは新チームメイトに起こったような問題もなく、シーズン後半戦を楽しんだ。

開幕戦から12レースで21ポイント獲得というのは決して褒められた成績ではないが、バトンは最後の6戦で35ポイントを獲得し、最多得点を稼いだドライバーとなった。一方のバリチェロはシーズン全体で30ポイントをマーク、Honda Racing F1は合計86ポイントでコンストラクターズ選手権を4位で終えている。

チーム内に大きな変動もなく2007年シーズンに挑んだHonda Racing F1だったが、RA107は精彩を欠いていた。バリチェロはノーポイントでシーズンを終え、バトンもわずか6ポイントの獲得にとどまっている。

その裏側でフライはチームに新しい風を吹かそうと、努力を重ねていた。そしてオフシーズンに入り、フェラーリの元テクニカルディレクターであるロス・ブラウンの加入が発表されたのだ。ブラウンは新チーム代表に就任している。

2008年シーズンも引き続きバトンとバリチェロがレースドライバーを務め、新たな戦いに挑む。



1964NC (Constructors Championship), 0 point.
19656ー (Constructors Championship), 11 points
19667ー (Constructors Championship), 3 points
19674ー (Constructors Championship), 20 points.
19686ー (Constructors Championship), 14 points.
20064ー (Constructors Championship), 86 points.
20078ー (Constructors Championship), 6 points.
20089ー (Constructors Championship), 14 points.




     




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2009 ドライバー



マクラーレン

ルイス・ハミルトン
ヘイキ・コバライネン
ペドロ・デ・ラ・ロサ
ゲイリー・パフェット

フェラーリ

ジャンカルロ・フィジケラ
フェリペ・マッサ
キミ・ライコネン
ルカ・バドエル
マルク・ジェネ

2009 ドライバー



BMWザウバー

ロバート・クビサ
ニック・ハイドフェルド
クリスチャン・クリエン

ルノー

フェルナンド・アロンソ
ネルソン・ピケ Jr.
ロマン・グロージャン

トヨタ

ヤルノ・トゥルーリ
ティモ・グロック
小林可夢偉

トロ・ロッソ

ハイメ・アルグエルスアリ
セバスチャン・ブエミ

レッドブル

マーク・ウェバー
セバスチャン・ベッテル

ウィリアムズ

ニコ・ロズベルグ
中嶋一貴
ニコ・ヒュルケンベルグ

フォース・インディア

エイドリアン・スーティル
ビタントニオ・リウッツィ

ブラウンGP

ジェンソン・バトン
ルーベンス・バリチェロ

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