ホテル  |  自動車  |  ゲーム  |  健康食品  |  旅行  |  スポーツ  |  タイヤ  |  ムービー  |  チューニング  |  モバイル  |  英会話  |  ショッピング  |  アルバイト  |  中古  |  出会い  |  オークション



ポイントランキング
2008 カレンダー
2008 ドライバー
2008 チーム
2008 サーキット
レギュレーション

F1 テスト
F1 歴代記録
GP アーカイブ


ニュースリスト
チームリリース




プレミアム
ご入会はこちら!

プレミアムサイトとは?



グランプリ
F1 テスト
チーム
レースクイーン
ユーザーフォト
プライベート

特集写真



生年月日 : 1976年8月27日
出身地 : クインビヤン
出身 : オーストラリア
未婚/既婚 : 未婚

身長 : 184 cm
体重 : 74 kg
勝利数 : 0
獲得ポイント : 79
出走回数 : 104
ポールポジション : 0
表彰台 : 2
初参戦 GP : 2002年 (メルボルン)
最高順位 : 3位
2006年 ドライバーズランキング : 14位
2007年 ドライバーズランキング : 12位
チーム : レッドブル
-- 2 2 4 2 5 -- 3 --
-- -- -- -- -- -- -- -- --
P. 08/22





2003年度、FIA(国際自動車連盟)F1世界選手権で、KLミナルディ・アジアテック・チームから、マーク・ウェバーが走るという発表があった。それはニューサウスウェールズ出身で25歳だったウェバーの苦悩した6年間の末に迎えた頂点への第一歩だった。オーストラリア人F1レーサーであるウェバーは、メルボルンのアルバート・パーク・サーキットで地元観衆の目の前でデビューを果たす。F1で走るオーストラリア人は、94年のデビット・ブラバム以来のことだった。

また、メルボルンは1996年にウェバーがフォーミュラ・ブラバム(旧・ホールデン)のレースで勝利した所でもある。

1995年はカートレースおよびオーストラリア・フォーミュラ・フォード・チャンピオンシップに参戦。同年のイギリス、ブランズハッチでのフォーミュラ・フォード・フェスティバルで3位になり、印象的な国際デビューを飾った。この活躍が1996年のブリティッシュ・チャンピオンシップで、あのアイルトン・セナやエディ・アーバインを発掘したことでも有名なヴァン・ディーメン・フォーミュラ・フォード・チームとの契約に結びつく。そして、その年の終わりにウェバーがオーストラリアを離れた時、彼はちょうど18歳になったばかりだった。

1996年、ウェバーはフォーミュラ・フォード・フェスティバルで総合優勝を飾る。そのシリーズは、ジョニー・ハーバートやエディ・アーバインなど、過去の勝者リストに印象的な顔ぶれが並ぶシリーズだ。

ブリティッシュ・フォーミュラ・フォードで成功を収めていたものの、資金調達には苦労し、資金が底に尽いたシーズン途中でレースを辞めなければならないところだったが、故郷の友人や前ワラビー・ラグビー・ユニオン・レジェンドのデビッド・キャンピージー選手などが援助、それにより以降、ウェバーは見事な戦績を残す。

1997年シリーズは4位でフィニッシュ。同郷のアラン・ドッキングが運営するF3のチームをこの年に卒業した。やがて、ブリティッシュ・シリーズと国際F3イベントでの強いパフォーマンスがメルセデスのボス、ノルベルト・ハウグの眼を引き、ウェバーにメルセデスAMG スポーツカー・チームのテストを受けるよう依頼することになる。

そのメルセデスでのテストは大成功の内に終了し、ウェバーは98年のFIA GTチャンピオンシップを戦うため、チームと契約。パートナーは、元F1ドライバーのベルント・シュナイダーだった。メルセデスの指導の下、ウェバーの成長は著しく、20歳になる頃までメジャーなレース環境で、夢中で働いていた。

1998年は、大きなテストプログラムの仕事と、米国、日本およびヨーロッパで10戦のチャンピオンシップを経験。ウェバーとシュナイダーのコンビは5度の優勝を飾った。しかし、タイトルはクラウス・ルードヴィッヒとリカルド・ゾンタに奪われてしまう。

1999年、ウェバーは彼自身のマシンをプロモートすることになったが、彼のスポーツカーへの情熱はル・マン24時間耐久レースでの2つの劇的な高速事故により、あっけなく終わることとなった。メルセデス・マシンのデザインの明白な空力的欠点が、ウェバーと同じく、チームメイトのピーター・ダンレックのマシンを宙返りさせ、メルセデスのスポーツカー・キャンペーンの縮小とレース自粛を招いた。1999年の補足として、ウェバーは次のシーズン、再び、シングルシーターに復活する決心を固めたことを発表。F1チームのボス、エディ・ジョーダンによって紹介された、ポール・ストダート・ニュー・ヨーロッパ・フォーミュラ・レーシング・チームで国際F3000を走ることになる。

2000年、ウェバーのパーソナル・スポンサーのイエローページとフォスターで連盟されたチームでFIA国際F3000チャンピオンシップに参戦。シルバーストーンシリーズのチャンピオンシップ、2ラウンドでまったく予想されていなかった圧倒的リードをつけ、勝利と共に新記録をEFRチームにもたらした。結局、ウェバーはドライバーズチャンピオンシップをブルーノ・ジャンクイラとニコラス・ミナシアンに次ぐ総合3位で終えている。

ウェバーの戦績は、ベネトン・プレイライフF1チームの興味を煽り、2000年9月には、エストリル(ポルトガル)で行われた3日間のテストに参加した。これが、2001年度シーズンのベネトンとの長期契約へ導き、F3000、スーパー・ノバ・レーシングに参戦。同じく、ベネトン・ルノーF1チームのテスト・ドライバーとなる。2001年、イモラ、モナコ、そして、マニクールで勝利し、F3000シリーズを総合2位で終了。レースの間にベネトン・ルノーF1チームのため、広範囲でテストを行い、それが還元されて、シーズンの終わりには、チームの性能は飛躍的に上昇した。

F1への長期介在を既に決定し、ミナルディに所属。デビュー戦は、メルボルンで行われ、ウェバーは母国のファンの前で5位、2ポイントを獲得した。そのファン達の熱狂、一体感、この若いオーストラリア人、ウェバーにとって忘れられないものとなっただろう。

2002年は残念ながら、その後ポイントなしで終了するも、モナコなどで素晴らしいパフォーマンスを披露。決して目立たなかったわけではなく、やはりジャガー・レーシング・チームのボスの目にとまった。間もなくジャガー・チームと正式契約し、パートナーをアントニオ・ピッツォニアとする。

ジャガーで迎えた2003年は素晴らしいものだった。チームが獲得した18ポイントの内、17ポイントはウェバーの得点からという成績で、チームも関係者も驚かせた。その才能はトップチームからも声がかかるほど。

2004年もジャガーに在籍したウェバーにとっては、残念ながら良い年とは言えなかった。シーズン半ばでジャガーはチームを売却することを発表し、ジャガーのR5も期待していたほど大きなステップアップには至らなかったのだ。しかし、ウェバーは堅実な走りを見せ、特に予選では素晴らしい走りを見せる。マレーシアGP ではミハエル・シューマッハの隣でフロントローに並ぶなどしたが、スピンでリタイアすることも多かった。ウェバーは4戦で合計7ポイントを稼いで2004 年を終えている。

フランク・ウィリアムズ代表が、かねてから目をかけていたウェバーのウィリアムズ移籍に驚く者は少なかった。そんなウェバーの2005年は期待外れに終わる。予選では力を発揮するものの、レースとなると足をすくわれ、ポイントを逃す始末。チームメイトのニック・ハイドフェルドの方が安定していたと言えるだろう。しかし、モナコGPでは自身初の表彰台を獲得するなど、ドライバーズチャンピオンシップを10位で終えた。

新星ニコ・ロズベルグを新チームメイトに迎え、2006年もウィリアムズから参戦したウェバー。シーズンを通して、おおむね優勢だったウェバーだが、競争力に欠けたウィリアムズ・コスワースのパッケージに、フラストレーションのたまる1年となったようだ。チームはがんばり続けたものの、シーズン中盤、ウェバーは2007年からレッドブル・レーシングに移籍すると発表。最終的に、2006年シーズンを14位で終えた。

レッドブルでデビッド・クルサードとコンビを組んだウェバーは、ニュルブルクリンクで3位表彰台に上る。しかしながら、RB3の信頼性は乏しく、レースの度にハイドロリック系のトラブルに見舞われてしまった。合計10ポイントを獲得してドライバーズ選手権を12位で終えたウェバーは、2008年もレッドブルにとどまり、レースに挑む。




1991 オーストラリアジュニアカート
1992 NSW、ACTステート・カーティング, チャンピオン
1993 オーストラリア・キングカートカップ, チャンピオン
1994 オーストラリア・フォーミュラ・フォード
1995 フォーミュラ・フォード
1996 フォーミュラ・フォード・フェスティバル, チャンピオン
1997 イギリスF3選手権
1998 GT (メルセデス)
1999 GT (メルセデス)
2000 国際F3000選手権, 3位
2001 国際F3000選手権, 2位 / F1 (ベネトン), テストドライバー
2002 F1 (ミナルディ), 16位 2ポイント
2003 F1 (ジャガー), 10位 17ポイント
2004 F1 (ジャガー), 13位 7ポイント
2005 F1 (ウィリアムズ), 10位 36ポイント
2006 F1 (ウィリアムズ), 14位, 7ポイント
2007 F1 (レッドブル), 12位, 10ポイント




     




[22/07 - 21:46]  
セーフティカールールは“ジョーク”とウェバー
「かなり素人っぽい」

[20/07 - 13:01]  
レースペースに満足のウェバー
予選もレースもRB4に合っている

[06/07 - 10:38]  
ウェバーはコバライネンに賭ける
「ヘイキの倍率が23倍のときに200ポンド賭けた」

[04/07 - 02:38]  
ウェバー、レッドブルと契約延長
2009年いっぱいまで更新

[03/07 - 17:59]  
レッドブルとの新契約を目指すウェバー
話し合い進行中

2008 ドライバー



フェラーリ

キミ・ライコネン
フェリペ・マッサ
ルカ・バドエル
マルク・ジェネ

2008 ドライバー



BMWザウバー

ニック・ハイドフェルド
ロバート・クビサ
クリスチャン・クリエン
マルコ・アスマー

ルノー

フェルナンド・アロンソ
ネルソン・ピケ Jr.
ルーカス・ディ・グラッシ
ロマン・グロージャン
山本左近

ウィリアムズ

ニコ・ロズベルグ
中嶋一貴
ニコ・ヒュルケンベルグ

レッドブル

デビッド・クルサード
マーク・ウェバー
セバスチャン・ブエミ

トヨタ

ヤルノ・トゥルーリ
ティモ・グロック
小林可夢偉

トロ・ロッソ

セバスチャン・ボーデ
セバスチャン・ベッテル

Honda Racing F1

ジェンソン・バトン
ルーベンス・バリチェロ
アレキサンダー・ブルツ
マイク・コンウェイ
ルカ・フィリッピ

SUPER AGURI

佐藤琢磨
アンソニー・デビッドソン
ジェームズ・ロシター

フォース・インディア

エイドリアン・スーティル
ジャンカルロ・フィジケラ
ビタントニオ・リウッツィ

マクラーレン

ルイス・ハミルトン
ヘイキ・コバライネン
ペドロ・デ・ラ・ロサ
ゲイリー・パフェット

レギュレーション

(1996-2008)Copyright RACING-LIVE
当ホームページ掲載の文章、画像、写真などを無断で複製、転載、転用、流用することは法律で禁じられています。 ご利用規約