ニック・ハイドフェルドのキャリアは、まだ幼かった9歳の頃にケルペン・マンハイムというクラブから、ゴーカートレースの選手権に出場したことから始まった。1990年、13歳の時にノルトライン・ヴェストファーレンのDMVカート・レース選手権に初出場し、そのカップでは5位を獲得している。
翌1991年、ADACジュニア・ナショナル・チームに選抜され、ADACジュニア・トロフィーで3位に入る。このチーム在籍中に、国際CIKジュニア・ランで勝利を収めた。1992年にはドイツのジュニア・カート選手権で総合5位を獲得し、翌1993年にはフランスのラヴァル世界選手権(フォーミュラA)に参戦を果たしたのである。
1994年には9戦8勝で、ドイツ・フォーミュラ・フォード1600チャンピオンシップを勝ち取った。続く1995年にはFF1800国際ドイツ・チャンピオンシップにステップアップ、4勝と5度の表彰台フィニッシュを果たし、ここでもチャンピオンシップを制している。
1996年にはオペルBSRチームからドイツF3に参戦し、3勝を挙げて総合3位。また、この年行なわれたマカオGPではポールポジションを獲得し、第1ヒートも1位で通過したが、最終成績は6位という結果だった。
1997年、ハイドフェルドはジュニアドライバーとしてメルセデスに移籍する。さらにF1のウェスト・マクラーレン・メルセデスのテストドライバー契約を結んだ。並行してオペル・チームからドイツF3への参戦も続け、ここでタイトルを獲得した。
1998年は国際F3000選手権に昇格、選手権では2回のポールポジションと、2回のファステストラップを記録している。この年のモナコ、ホッケンハイム、ハンガロリンクでのレースで優勝を果たした。
1999年もF1の舞台を夢見て、マクラーレンのテストドライバーを続投。それと同時にウェスト・チームから参戦していた国際F3000では、53ポイントを獲得してチャンピオンに輝いている。
2000年、プロスト・チームからついにF1デビューを果たす。しかし、マシンの信頼性は乏しく、パフォーマンスも伸び悩み、ハイドフェルドのデビューイヤーは目立った印象を残せないまま終わってしまった。
2001年はザウバーに移籍して心機一転を計る。ブラジルGPを3位でフィニッシュし、初めて表彰台にも上った。この年は合計12ポイントを獲得し、ドライバーズランキングを8位でフィニッシュ。また、このポイントによりザウバー・チームのコンストラクターズランキング4位(チーム創設以来の最高順位)という結果に大きく貢献している。マシンの戦闘力さえあれば、決して伸び悩むようなドライバーではないことをチーム内外に強くアピールした結果だった。
2002年シーズンもザウバーで戦ったハイドフェルド。前年度のチームメイトだったキミ・ライコネンはマクラーレンに電撃移籍し、替わってブラジルの新星フェリペ・マッサを迎える。この年のハイドフェルドは7ポイントを獲得するにとどまり、チームのコンストラクターズ選手権は5位にすべり落ちてしまった。
2003年は厳しいシーズンを過ごす。ザウバーC22は競争力に欠け、シーズン終盤までの獲得ポイントは2ポイントのみだったのだ。第15戦アメリカGPでリスキーな雨のコンディションに乗じて運良く4ポイントを獲得したが、チームはすでに来シーズンの体制を固めてしまっていた。このレース後、ザウバーはフェリペ・マッサとジャンカルロ・フィジケラの布陣で2004年シーズンに臨むと発表したのだ。
居場所を失ったハイドフェルドは長い冬を送った。そして壮絶な争奪戦の末、何とかジョーダンのシートを獲得。ハイドフェルドはF1界のサバイバルゲームで生き残りを果たしたのである。
ジョーダンから参戦した2004年は苦しい1年となったが、フォード・コスワース・エンジンは大きなメーカーよりパワーでは劣ったものの、ハイドフェルドはチームメイトより15回も予選でいい結果を出した。モナコGPとカナダGPで入賞、合計3ポイントを獲得している。
2004年は決して良い年とは言えなかったハイドフェルドだが、2005年はBMWウィリアムズのセカンドシートという大きなチャンスをつかみ、開幕から 7戦で3度も表彰台に上る素晴らしいスタートを切った。ところが、チーム側はBMWとの不仲が深刻化。7月になるとBMWがザウバーの買収を発表し、ハイドフェルドは2006年、BMWで走ることになったのだ。
イタリアGP前に行われたテストで、大きなアクシデントに見舞われたハイドフェルドは頭痛を訴え、イタリアGPを欠場。その後も別のケガを負って、2005年シーズンを欠場のまま終えることとなった。
2006年も引き続き、BMWザウバーでキャリアを積んだハイドフェルド。当初はジャック・ビルヌーブとタッグを組み、ハイドフェルドは元ワールドチャンピオンと互角の力を証明した。しかし、シーズン中盤、ビルヌーブがチームを離脱、代わってテストドライバーだったロバート・クビサがハイドフェルドのパートナーとなったのだ。
レース参戦直後から速さを見せたクビサが刺激となり、ハイドフェルドもレースで速さを増していく。そして、ハンガリーGPでチーム初の表彰台となる3位でチェッカーを受けた。ハイドフェルドはシーズンを9位でフィニッシュ。
2007年、“クイック・ニック”と異名をとるハイドフェルドは、モナコとハンガリーで表彰台に上り、入賞を果たせなかったグランプリは3戦だけ。BMWザウバーのF1.07はフェラーリやマクラーレンの速さにはおよばなかったものの、合計61ポイントを獲得したハイドフェルドは選手権を自身最高となる4位で終えている。
引き続き、BMWザウバーに残留するハイドフェルドは、チームの初勝利を目指して2008年シーズンに挑む。