その落ち着きは、王者の風格か。
2003年、最もF1界をにぎわせたドライバーの1人はフェルナンド・アロンソだろう。次々とめざましい成績をマークし、とうとう史上最年少優勝という記録まで生み出したのだ。若年齢化が進んでいるF1界において、2004年シーズンは最年少ドライバーではなくなったものの、ワールドチャンピオンに手が届く逸材として注目される若手の1人であった。
アロンソは早くからその頭角を現す。1994年にはスペイン・カート選手権に参戦し、弱冠13歳でチャンピオンとなった。その後も活躍を続け、2年後の1996年、15歳の時に再びスペイン・カート選手権でチャンピオンとなり、ワールド・カート選手権でもチャンピオンを獲得。
1997年、彼は3回目のスペイン・カート選手権制覇を達成する。その後、1998年にはヨーロッパ・カート・チャンピオンシップで2位になり、翌1999年、ニッサン・ユーロ・オープンでタイトルを獲得。アロンソのあふれる才能と素晴らしい業績は、カートにとどまらず、いずれはモーターレース最高峰であるF1に参戦し、そこでも十分に実力を発揮するであろうことを証明していた。
2000年はチーム・アストロメガでF3000に参戦しながら、同時にミナルディのテストドライバーも務める。アロンソのドライビングは、その当時強豪チームであったフェラーリやベネトンなどからも注目を浴びていた。その年のF3000での成績は、オーストリアで6位、ハンガリーで2位、そしてベルギーで優勝し、シーズンを通して総合6位でフィニッシュしている。
2001年はミナルディで3年先輩のタルソ・マルケスのパートナーとなり、メルボルンでF1デビュー。モーターレースの頂点、F1に初挑戦の年となった。何レースかを印象的なパフォーマンスで彩るが、2002年シーズンはミナルディにとどまらず、ルノーのテストドライバーとしてレース参戦を一時休止する方を選んだ。その年のテストドライバーとしての役割はチームの正式なドライバーとしての地位を確立させ、2003年はパートナーをヤルノ・トゥルーリとしてF1レース復帰を果たす。
レギュラードライバーとして、より強いチームで走った2003年。結果は、ハンガリーでの初優勝に加え、総合6位で終えたことなど、驚き以外の何ものでもなかったと言えるだろう。
2004年開幕戦のオーストラリアGPでは3位という素晴らしい結果でスタートしたが、次に表彰台に上ったのは第10戦フランスGPでの2位だった。ドイツGP、ハンガリーGPと連続で表彰台に上るも、優勝はつかめていない。
2005年はアロンソの思い通りの年だったと言えるだろう。シーズン7勝を挙げ、エマーソン・フィッティパルディが長いこと保持していた、史上最年少ワールドチャンピオン記録を更新する偉業を達成。コンペティティブなマシンR25を操り、ライバルのキミ・ライコネンと激しいバトルを繰り広げた末に、21 ポイントのアドバンテージを築く素晴らしい成績を残した。こうしたアロンソの活躍もあり、ルノーは初のコンストラクターズ選手権タイトルを獲得している。
アロンソが史上最年少ワールドチャンピオンに輝いた2005年12月、マクラーレン・メルセデスは、アロンソと2007年以降のドライバー契約を交わしたという衝撃的な発表を行った。ルノーで過ごす最後の1年となった2006年シーズン、アロンソは開幕から9戦で6勝を挙げる。これでアロンソの2連覇が確実かと思われたものの、ミハエル・シューマッハとフェラーリの追撃により、タイトル争いはシーズン最終戦ブラジルGPにまで、もつれ込んだ。2連覇に向けて、あと1ポイントを獲得するだけでよかったアロンソは、ブラジルGPを2位でフィニッシュ、シューマッハに13ポイント差をつけてタイトルを獲得した。
アロンソは誰もが欲しがるカーナンバー1を手土産に、他チームも含む3連覇という夢を目指してルノーから新天地となるマクラーレンへ移籍。しかし、その夢はすぐさま悪夢へと変わってしまう。
コース上における2007年シーズンは、アロンソにとって素晴らしい1年だった。マレーシア、モナコ、ヨーロッパ、そしてイタリアで優勝を果たし、タイトル争いにも加わっている。しかし、コース外ではアロンソやチームの事件が新聞の見出しを飾り続けた1年だった。
開幕から数戦はすべてスムーズに運んでいたが、モナコGPでアロンソ、チーム、そしてチームメイトでありルーキードライバーのルイス・ハミルトンとの間に、緊張感が漂い始める。
マクラーレンはマクラーレンでF1界を揺るがせたスパイ事件を抱えていたが、アロンソはチームから思いもしなかった待遇を受け、成功を収めるためにチームメイトと戦うという状態に不満を抱えていった。そして、ついにハンガリーGPでマクラーレンのお家騒動が表沙汰になる。予選セッションでアロンソが最後のアタックに間に合うギリギリまでピットにとどまり、後ろでタイヤ交換を控えていたハミルトンをブロックしてしまったのだ。
アロンソはスチュワードからペナルティを科されたが、チームとドライバー間の確執は明らかだった。
2007年シーズン、ドライバーズ選手権をハミルトンと同点の3位で終えたアロンソ。チャンピオンを獲得したキミ・ライコネンとのポイント差はわずか1ポイントである。確かに、アロンソは2007年のタイトル獲得のチャンスを逸したが、チームとの3年契約を1年で解消したことに、誰も驚くことはなかった。
マクラーレンで不満を抱えたナンバー1待遇を求めて、2008年シーズン、アロンソはルノーに復帰する。2度のワールドチャンピオンに速さの衰えはないものの、マクラーレンでの彼の評判は痛手を被った。アロンソはすべてを過去のものとし、ルノーと共に再び表彰台の頂点を目指していく。